特集
エミール・マールとともに教会堂を巡る


その2.大彫刻の誕生と写本の影響(2008.11)

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 第2回は、エミール・マールの著作「12世紀フランスの宗教芸術―中世の図像の起源に関する研究」の第1章、第2章をガイドに、ロマネスク芸術における大彫刻の誕生と写本の影響について見ていきましょう。

1.大彫刻の誕生と写本挿絵の影響
 ギリシア・ローマの彫刻が消滅して以降、何世紀にもわたって忘れられてきたモニュメンタルな彫刻が再び姿を現したのは11世紀の南フランスにおいてでした。
 彫刻という芸術表現が500年以上も忘れられていた理由について、マールは、5世紀頃に、彫刻表現を主体とした自然主義的なギリシア・ローマ芸術が純粋に装飾的な芸術であるオリエント芸術に取って代わられたためであるとし、一般的に考えられているようにキリスト教会による聖像禁止によるものではないとしています。また、南フランスで復活したことについては、これらの地方にギリシア・ローマ時代に培われた造形的本能が保持されていたためであるとしています。10世紀頃、南フランスで聖遺物を入れる容器として木彫りの立体像が作られたことがありますが(コンクの聖女フォア像等)、11世紀に復活した彫刻が木彫りの立体像ではなく石の浮彫であったことから、これらの影響は考えられないとしています。 そして、当時の作家達が石の上に刻んださまざまな図像は、彼らが創造したものではなく、写本の挿絵を借用もしくは発想の源にしたものである、というのがマールの著作の主要なテーマとなっています。

 彫刻復活の端緒としてマールが取り上げるのは、1065年から1080年に制作されたとされるトゥールーズのラ・ドラード修道院回廊の柱頭彫刻(オーギュスタン美術館所蔵)と、その後、同一の職人らが制作を行なったと考えられるモアサック修道院回廊の柱頭彫刻です。これらの柱頭彫刻には、新約聖書の「黙示録」と旧約聖書の「ダニエル書」に由来する主題が含まれており、同一の主題によって構成されたベアトゥスの「黙示録」註解の写本挿絵が基礎となっているとしています。
 写本挿絵の影響は、モアサックのタンパン彫刻において明瞭に見ることができます。四福音書家の象徴である4つの生き物に囲まれて玉座につくキリスト、王冠をかぶり杯とヴィオールを持って坐す24人の長老、この壮大な「黙示録のキリスト」の彫刻がベアトゥスの「黙示録」註解のサン・スヴェール写本もしくはこれと極めて類似した写本の挿絵を借りたものであることは、マールよって指摘されたことです(「黙示録のキリスト」の図像はローマのモザイクやカロリング朝の写本挿絵にも見られますが、そこでは長老たちは子羊やキリストに冠を捧げる立ち姿で表わされており、モアサックのタンパンの構図とは明確に異なるものとなっています)。
 ベアトゥスの「黙示録」註解の写本挿絵の影響は、モアサックだけでなくサン・ブノア・シュル・ロアール、ポアティエのサン・ティレールの柱頭彫刻等にも見ることができ、南フランスの広範な地域に及んでいます。そして、ベアトゥスの「黙示録」註解にとどまらず、ロマネスクの作家たちが、当時存在した(オリエントからもたらされ、繰り返し模写されてきた)さまざまな写本挿絵を、手本もしくは発想の源として用いていたことをマールは明らかにしました。

 写本挿絵の影響を示すものとしてマールは多数の具体例を挙げていますが、MORAのデータ・ベースで見ることのできるいくつかを紹介しましょう。写本挿絵については、マールの書籍に直接あたって下さい。

2.ロマネスク図像の複合性(ヘレニズム型とシリア型)
12世紀に存在した写本は、さまざまな時代や地域に起源をもつものに加え、模写の繰り返しにより変形されてしまったものもあり、極めて多種多様となっていたはずです。このため、ロマネスクの図像は、これら多種多様な挿絵を基礎に持つことから、定型をもたず、混乱や矛盾に満ちたものとなったとマールはいいます。

 4世紀から6世紀にかけて、2つの独立したキリスト教芸術がオリエントに存在しました。ひとつは、ヘレニズムのギリシア都市であるアレキサンドリア、アンティオキア、エフェソスのキリスト教芸術であり、もうひとつはエルサレムやシリア諸地方のキリスト教芸術です。
 初期キリスト教芸術は、これらのギリシア都市に住むキリスト教徒により葬礼芸術として生まれました。カタコンベの壁画から始まりローマやアルルの石棺彫刻に至るこれらの芸術は、キリストを髭のない青春期にある若者として表現したことにみられるとおり、光と美に満ちたギリシア的な古代精神の承継といってよいものでした。
 一方、エルサレム周辺では、福音書の重要な舞台なった場所に壮大なモニュメントが建てられ、巡礼者が押し寄せるようになりましたが、これらの建物の内部には福音書の場面がモザイクで描かれていました。これらのモザイクは現存しませんが、その内容については、巡礼者が持ち帰りミラノ近郊のモンツァ大聖堂等に保存されている、モザイクを再現した香油瓶の浅浮彫によって窺い知ることができます。福音書の舞台となったまさにその場所で生まれたこの芸術は、現実味、地方色を帯びており、キリストは黒い髭をたくわえた壮年のシリア人として表現されています。
 シリアの芸術とヘレニズムの芸術は極めて対照的なものでしたが、6世紀頃には双方が混じり合うようになります。シリアの芸術は、ヘレニズムの芸術には見られない壮大さと神秘さを持ち、加えて、公会議によって定められたキリストの生涯を現実味をもって表わすものであったことから、やがてヘレニズムの芸術を凌駕するに至ります。しかし、ヘレニズム的伝統も長く存続し、12世紀の図像の中にもその姿を見せるのです。

 12世紀フランスの彫刻及び壁画と写本挿絵との影響関係を見る中から、マールは、原型となった写本挿絵等に従いヘレニズム型とシリア型の2つのタイプを抽出します。

 マールは、ロマネスクの彫刻が示すさまざまな特徴、とりわけ、体に貼り付いたような襞胸や膝の同心円を描く襞Xの形に交差させた脚等の特異な表現は、写本挿絵を手本にしたことにより生じたものであり、このことがロマネスクの彫刻に手本をなぞっているような不自然さを感じさせる理由となっているとしています。他方、モアサックヴェズレーの扉口に見られる壮大な美や崇高な感情は、写本挿絵の中から見出されたものではなく、ロマネスクの時代の深い宗教感情から生まれたものであるとして、ロマネスクの彫刻家の独創性を強調しています。
 以上のとおり、ロマネスクの図像は写本挿絵の借用から始まったということができますが、単なる模倣にとどまることなく、ロマネスクの時代精神によって新たな構成を生み出していくことになります。



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