特集
エミール・マールとともに教会堂を巡る


その1.タンパン彫刻(2008.8)

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 西欧中世の宗教芸術を図像学という方法を使って初めて体系化したのはエミール・マール(1862-1954)です。
 マールは、19世紀初頭のロマン主義により中世芸術の典型として既に評価を受けていた13世紀ゴシック芸術の研究から始め、その解体期である中世末期の研究を経たのち、遡ってゴシックの起源を探る目的で、当時、未だゴシックの未発達段階としてしか考えられていなかった12世紀ロマネスクの研究に向かいます。その結果、ゴシック以降の西欧中世の宗教芸術の図像のほとんどが、既にロマネスクの時代に完成の域に達していたことが発見され、ロマネスク芸術に初めて正当な光があてられることになりました。

 その後、ロマネスクについての研究は、ゴシックの前段階というマールの認識を超えて、ヘレニズム、オリエント、ケルト・ゲルマンのアマルガムとして、ゴシックとは異なる独自の体系を有するものとの評価に移行していきますが、ロマネスク芸術に初めて正当な光をあてることになったマールの著作「12世紀フランスの宗教芸術―中世の図像の起源に関する研究」(1922年刊行。邦題「ロマネスクの図像学」、田中仁彦他訳、株式会社国書刊行会。ダイジェスト版として「ヨーロッパのキリスト教美術(上)」、柳宋玄他訳、岩波文庫)の価値は、現代においても決して衰えるものではありません。

 同書では多数のロマネスクの作品に言及がなされていますが、これらの作品をMORAのデータ・ベースによって見ていきたいと思います。
 まずは、「第11章・図像に飾られた12世紀の扉口」で取り上げられた作品(主としてタンパン彫刻)を見ていくことにしましょう。


 マールは、ロマネスクの教会堂のタンパンに刻まれた彫刻の主要な主題として、「黙示録のキリスト」、「キリストの昇天」、「最後の審判」、「最後の晩餐」、「マギの礼拝」、そしてタンパンではありませんが西フランスのアーキボルトに見られるいくつかの特徴的な主題を挙げ、それぞれの誕生から変貌、そしてゴシックに与えた影響を考察していきます。

1.「黙示録のキリスト」の主題
(1)モアサックのタンパン
 四福音書家の象徴である4つの生き物、2人の天使、24人の長老に囲まれて玉座につく万物の支配者たるキリスト。聖ヨハネが幻視した「黙示録のキリスト」(黙示録第4章)は、1120年頃モアサックのタンパンに初めて出現しました。
 モアサックの壮大な図像が突然誕生したものではなく、スペインのベアトゥスによって書かれた「黙示録」註解のサン・スヴェール写本にあった挿絵が模倣されたものであることについては、マールが本書・第1章で既に解明したところです。
 この壮大な彫刻は、ヨーロッパにおいて古代ローマの滅亡以来失われていたモニュメンタルな彫刻の真の復活となるとともに、その主題は、東のマグロンヌから始まりピレネー山脈の両側に、そして南フランス全域に伝播していきました。
 サン・タヴァンタンヴァルカブレールでは、鷲と獅子と牡牛の3つの生き物は3人の天使に抱えられる形で表現されていますが、この形はスペインに及び、やがてサンティヤゴ・デ・コンポステーラの「栄光の門」に出現することになります。

(2)カレナックのタンパン
 モアサックの図像を最初に模倣したのはカレナックのタンパンでした。しかし、カレナックの表現にはモアサックにみられたイメージの圧倒的な超越性はなく、24人の長老に替わり12人の使徒が直線の枠取りの中に平穏に収まっています。

(3)「24人の長老」の主題
 杯と弦楽器を持ち王冠をかぶって坐している「24人の長老」の主題は、フランス中部と西部の諸地方に広まりました。サン・ジュニアンの石造の聖遺物箱ル・ピュイのサン・ミシェルの扉口、また、タンパンを持たないポアトゥー地方とサントンジュ地方の扉口のアーキボルトにその姿を見ることができます(オーネー等)。

(4)クリュニー大修道院のタンパン
 ブルゴーニュ地方での最初のモニュメンタルな彫刻と考えられるクリュニー大修道院のタンパンも「黙示録のキリスト」でした。しかし、残念ながら19世紀初頭に破壊され残存していません(写真は付属博物館に置かれている修道院の再現模型を撮ったものです)。
 マールは、クリュニーに残存している柱頭の人物像を検討し、太い包帯の連なりのように重なり合った衣の襞の表現がモアサックの彫像と同じで、ヴェズレーやオータンの同心円を描く仕上げと根本的に異なっていることから、モアサックの着想がクリュニー伝わったと推測しています。
 クリュニーの「黙示録のキリスト」は、4つの生き物に囲まれてキリストが坐り、2人もしくは4人の天使が光背を支える構図として、12世紀のブルゴーニュ地方に広まりました(ディジョンのサン・ベニーニュ、シャルリュー等)。

(5)サン・ドニ中央扉口のタンパン
 12世紀前半、「黙示録のキリスト」の主題は北フランスにも影響を及ぼします。
 1135年頃、サン・ドニの修道院長シュジェールは、ボーリューで「最後の審判」の仕事をした職人をサン・ドニに呼び寄せ、作業に取り掛からせましたが、その職人の中にはモアサックやカレナックで働いた者もいたに違いありません。サン・ドニ中央扉口のタンパンで彼らが模倣したのはボーリューの「最後の審判」でしたが、アーキボルトに刻まれた「24人の長老」はモアサックから承継したものです。

(6)シャルトル西正面中央扉口
 1145年頃、サン・ドニでの仕事が終了すると、彼らはシャルトルに移動し西正面の制作に取り掛かります。
 シャルトル西正面の中央扉口に登場したのは「黙示録のキリスト」でした。マールは、12使徒に伴われ4つの生き物に囲まれて着座した「黙示録のキリスト」は、脚を交差させる使徒の姿勢からカレナックの承継であり、また、アーキボルトの「24人の長老」はサン・ドニを経たモアサックの承継であるとしています。
 シャルトルの表現は穏やかな謹厳さといってよいものとなっており、ル・マン、アンジェ、サン・ルー・ド・ノー、ブールージュ等の手本となっただけでなく、12世紀末にはこの主題の発祥の地である南フランスにも逆輸入され、アルルのサン・トロフィームでも取り入れられています。
 しかし、ロマネスクにおいて主要な主題としてあり続けた「黙示録のキリスト」は、ゴシックにおいては「最後の審判」に吸収され、独自の主題として永らえることはありませんでした。

2.「キリストの昇天」の主題
(1)サン・セルナンのタンパン
 「キリストの昇天」の主題のタンパンでの最初の試みは、トゥールーズのサン・セルナンで見ることができます。しかし、その構図には昇天を思わせる動きが感じられないため、レオンのサン・イシドロで模作されただけで終わりました。

(2)カオールのタンパン
 上昇の動きは、2人の天使を従えたキリストが光背の中に立ち、使徒たちが昇天するキリストを見上げるというカオールの構図によって初めて表現されました。
 カオールの「キリストの昇天」の構図はモーリアックとアングレームで模倣されます。ただし、アングレームでは、昇天するキリストの背後に「最後の審判」に登場する「天国と地獄」を思わせる場面があり、「キリストの昇天」と「最後の審判」の2つの場面が同時に表現されているように見えます。これについてマールは、「キリストは昇天した姿のまま審判のため再臨する」との中世の教義に基づくもので、ビザンティンにおいて「昇天のキリスト」が堂々と坐っている姿で表現されるのも同じ理由からであるとしています。
 カオールの「キリストの昇天」は北フランスにも伝播し、シャルトル西正面左側扉口で承継され、その後すぐにエタンプで模倣されます。

(3)ブルゴーニュ地方の「キリストの昇天」
 ブルゴーニュ地方でも、モンソー・レトアール、アンズィ・ル・デュック、サン・ポール・ヴァラックス、シャルリュー等のタンパンで「キリストの昇天」の主題が見られます。しかし、マールは、これらにはカオールの影響はなく、オリエント、ビザンティンの写本挿絵を手本としたものと考えられるとしています。柄の長い十字架(破壊されて殆ど残存していませんが)を持ち光背の中に立つモンソー・レトアールのキリストにはシリアとコプトの影響があり、光背の中に坐るアンズィ・ル・デュックとサン・ポール・ヴァラックスのキリストにはビザンティンの影響が見られるとしています。ただし、シャルリューにおいては、「キリストの昇天」の構図(キリストが2人の天使に支えられた光背の中に着座する)を取りながらも、キリストとキリストを見上げるべき使徒たちがいずれも正面を向いた不動の姿勢で坐っており、その全体は永遠の相に包まれているように見えます。

3.「最後の審判」の主題
(1)ボーリューのタンパン
 「最後の審判」の主題がタンパンに初めて刻まれたのはボーリューにおいてでした。
 そこには、使徒たちの中央に坐るキリスト、ラッパを吹き鳴らし十字架や受難の刑具を手にして空中を舞う天使たち、墓から出てくる死者たち等が見られますが、ボーリューの「最後の審判」の特徴の1つは、2人の天使に支えられた大きな十字架が刻まれていることです。マールは、このような十字架はカロリングの遺産のひとつであり、トゥールーズのラ・ドラード修道院の回廊の柱頭彫刻にも見られ、西欧の「最後の審判」を特徴づけるものであるとしています。また、もう1つの特徴は、胸をあらわにしたキリストが、まだ十字架上にあるかのように両腕を水平に広げていることです。マールは、この表現は、アングレームの「最後の審判」と同様、「キリストは昇天した姿のまま審判のため再臨する」との中世の教義に基づくものであるとしています。ポアトゥー地方のサン・ジュアン・ド・マルヌの西正面のキリストも大きな十字架を背後に置いており、両腕を広げてはいないが、十字架から降ろされたばかりのように表現されています。

(2)サン・ドニ中央扉口のタンパン
 ボーリューの「最後の審判」の図像は、シュジェールにより、十字架上のキリストであることをより鮮明にする形でサン・ドニ中央扉口のタンパンに採用されます。その後北フランスに広範に伝播し、ゴシックにおけるタンパンの主要な主題となります。

(3)コンクのタンパン
 「最後の審判」の主題は、コンクにおいてボーリューとは根本的に異なった構成で表現されています。
 マールは、コンクの表現はノートルダム・デュ・ポールサン・ネクテールモザの彫刻によく似ており、オーヴェルニュ地方との繋がりがあるとしています。そこには、「列をなして進む選ばれた人々」、「魂の計量」、「地獄」、「天国」等、「最後の審判」を構成するほとんど全ての要素が出現しています(マールは、「魂の計量」について、トゥールーズのオーギュスタン美術館にある柱頭アルルのサン・トロフィームの扉口側壁、サン・ネクテールの柱頭等に見られ、キリスト教化されたエジプト(コプト)に由来し、南フランス全域に広がったものとしています)。なお、コンク近くにあるエスパリオンの扉口がコンクのタンパンの原作と考えられた時期もありましたが、マールは、エスパリオンはコンクの特徴を不器用に模作したものに過ぎないと断定しています。

(4)オータンのタンパン
 ブルゴーニュ地方で唯一完全な姿をとどめているオータンの「最後の審判」はボーリューよりも少し後の作品と考えられていますが、その構想はかなり異なっています。受難の刑具はなく、十字架上の贖い主であったキリストは審判者として表現され、一方、ゴシックの「最後の審判」で重要な役割を演じることになる聖母マリア聖ヨハネの2人の仲介者が初めてそのふさわしい場所に登場します。「魂の計量」と「死者たちの復活」の場面のドラマティックな構成はタンパン全体に強烈な印象をもたらします。しかし、オータンのうねる様な表現主義的な描写はブルゴーニュにおいても例外的なものにとどまり、ゴシックの「最後の審判」に承継されることはありませんでした。

4.「最後の晩餐」の主題
 以上の3つの主題に加えて、12世紀にブルゴーニュ地方で誕生したと思われる「最後の晩餐」を主題とするタンパンがあります。この主題はディジョンのサン・ベニーニュに最初に出現しましたが、一般には、「最後の晩餐」の上に「荘厳のキリスト」が配され、またそのいくつかは「弟子の足を洗う」場面を伴って構成されています。その定型はサン・ジュリアン・ド・ジョンジーで確立し、南フランスでもサン・ポンサン・ジルで見ることができます。いずれもクリュニー系であることから、マールは、これらの図像はクリュニーの修道士たちによって創出され広められたものであるとしています。
 「最後の晩餐」と「弟子の足を洗う」の表現は象徴的な意味を持っており、「最後の晩餐」は聖体の秘跡を表象し、 「弟子の足を洗う」は告解の秘跡を表象しているとされています(シャルリューの「カナの婚宴」、また、イソアールの外壁等に見られる「パンの増加」の場面も、聖体の秘跡を表象しています)。12世紀に広まった異端信仰に対抗して、教会の2つの主要な秘跡、即ち聖体と改悛の秘跡が神の定めた制度であることを教えようとしたものであると考えられます。
 また、「最後の晩餐」は「十字架上のキリスト」とともに配置されることがあります。「十字架上のキリスト」がタンパンに初めて表現されたのは、異端者による十字架破壊が行なわれた南フランスにおいてでした。サン・ポンのタンパンには「十字架上のキリスト」とともに「最後の晩餐」と「弟子の足を洗う」が刻まれており、また、サン・ジルでは中央扉口の楣石に「最後の晩餐」が、隣のタンパンには「十字架上のキリスト」が刻まれています。シャンパーニュの扉口には「最後の晩餐」の上に「十字架上のキリスト」が刻まれています。
 マールは、これらの扉口の図像は12世紀の宗教闘争の記憶を呼び起こすものであるとしています。

5.「マギの礼拝」から「聖母子」へ
(1)モアサックの右ポーチ
 厳粛であった聖母への信仰に優しさが帯び始めるのは12世紀のことです。
 聖母への崇敬が初めて表現されたのはモアサックの右ポーチで、「受胎告知」から「エジプトへの避難」までの場面が刻まれ聖母に捧げられました。とりわけ荘厳に表現されたのは「マギの礼拝」の場面で、以後、南フランスの芸術家たちは聖母を讃える際にこの場面を選ぶようになります。サン・ベルトラン・ド・コマンジュサン・ジルアルルのサン・トロフィーム、そして、北フランスへの途上にあるクレルモンのノートルダム・デュ・ポールでも「マギの礼拝」を見ることができます。

(2)ブルゴーニュ地方の「マギの礼拝」
 ブルゴーニュ地方でも「マギの礼拝」の主題は広く取り入れられました。ヌイイ・アン・ドンジョンアンズィ・ル・デュックでは、「エバの罪」と組み合わされています。ヴェズレーの左扉口は聖母に捧げられており、そのタンパンは「マギの礼拝」で飾られています。アヴァロンのサン・ラザール、ディジョンのサン・ベニーニュ(「荘厳のキリスト」の下)、ラ・シャリテ・シュル・ロアール(「キリストの変容」の下)でも見ることができます。

(3)シャルトル西正面右側扉口
 既にサン・ジルにおいて聖母子は正面を向きマギ等他の登場人物と独立して表現されるようになっていましたが、シャルトル西正面右側扉口において、「マギの礼拝」の主題は放棄され、2人の天使を伴った「聖母子」として純化された姿を現わします。マールは、タンパンを飾る「聖母子」の中でシャルトルが最も古いものであるとしています(古風な外観をもつコルネイヤ・ド・コンフランのタンパンの聖母子はシャルトルより後の作品であり、また、サン・タヴァンタンの聖母子は、シャルトルよりも前の作品であるかもしれないが、側柱に控え目に埋め込まれているに過ぎません)。
 シャルトルの「聖母子」の構図は広範に模倣され、「マギの礼拝」の主題が豊富に見られたブルゴーニュ地方にも影響を及ぼしました(ドンジー等)。

(4)スイヤックの浮彫(テオフィロスの奇跡)
 マールは、聖母だけに捧げられた最初の彫刻として、スイヤックの浮彫(テオフィロスの奇跡)を挙げています。その後、12世紀後半から13世紀ゴシックになると、「聖母の死」、「聖母の復活」、「聖母の被昇天」、「聖母の戴冠」等聖母を讃える図像が扉口を埋め尽くすようになります。

6.西フランスの扉口にみられる主題
 西フランスのサントンジュ地方、ポアトゥー地方の教会堂はタンパンを持たない独特の様式を有しています。そのため、アーキボルトに「黙示録の長老たち」「美徳と悪徳の戦い」「賢い乙女と愚かな乙女」等の人物群像をまとめて刻むようになりました。
 マールは、西フランスの彫刻には、南フランス伝来の細長い人物像(モアサック)や脚を交差させた人物像(トゥールーズ)が見られることから、アーキボルトに人物群像を刻むという着想は、サン・ドニやシャルトル等北フランスからのものではなく、カオールとアングレームのアーキボルトでなされた試みが取り入れられたものと推定しています。また、「黙示録の長老たち」はモアサックに初めて登場し、「賢い乙女と愚かな乙女」はトゥールーズのラ・ドラードの回廊の柱頭において最初に姿を見せたものであることから、こうした扉口に表現されている思想のいくつかも南フランスから伝わったものであるとしています(ただし、プルデンティウスの詩から取られた「プシコマキア(美徳と悪徳の戦い)」の主題は西フランスにおいて生まれたものとしています)。
 「賢い乙女と愚かな乙女」、「プシコマキア」は、いずれも最後の審判の寓意(善人と悪人の選別)であるとされていることから、これらの主題は「最後の審判」の思想を喚起しようとしたものと考えられます。また、多くの場合、外側のアーチに1年のそれぞれの月の労働が表現されており、マールはこれらの扉口の彫刻は、労働から美徳、美徳から愛への上昇を我々に促しているものであるとしています。

7.12世紀に先行する11世紀の彫刻
 なお、マールの本章では言及されていませんが、ロマネスクにおける彫刻の復活は11世紀にさかのぼることができ、その際とられた主題は「キリストの昇天」と「黙示録のキリスト」でした。
  作成年代のわかる最古のロマネスク彫刻(1019-1020)として知られているサン・ジュニ・デ・フォンテーヌの楣石の彫刻は、キリストが2人の天使に支えられた光背の中に着座する「キリストの昇天」の構図を取っており、近くにあるサンタンドレ・ド・ソレッドの楣石がこれを承継しています。また、同じく近くにあるアルル・シュル・テッシュのタンパンには、四福音書家の象徴である4つの生き物に囲まれた「黙示録のキリスト」を見ることができます。
 いずれも12世紀のタンパンの図像とは異なるものですが、12世紀に開花するロマネスク彫刻を予見させるものということができます。

8.13世紀ゴシックへの影響
 以上のとおり、13世紀ゴシックで見られる図像のほとんど全ては、既に12世紀に出現していたということができます。13世紀の仕事はこれらの図像を選択し秩序立てることでした。
 ロマネスクを壮大に表現して見せた「黙示録のキリスト」、「キリストの昇天」の主題は放棄され、異端者の改宗を目的とした「最後の晩餐」や「弟子の足を洗う」の主題の必要はなくなりました。他方、「最後の審判」には特権的な地位が与えられ、「聖母の復活」と「聖母の戴冠」が13世紀の最も重要な主題となりました。また、西フランスが好んだ「12か月の労働」、「美徳と悪徳の戦い」、「賢い乙女と愚かな乙女」の主題も13世紀の扉口を飾ることになります。
 マールは、「黙示録のキリスト」を主題とするモアサックアルルのサン・トロフィーム、サンティヤゴ・デ・コンポステーラの扉口が「悪しき金持ちの懲罰」や「天国と地獄」の場面を伴うこと、また、「キリストの昇天」の主題においても審判のためのキリストの再臨が表現されていることを指摘し、「最後の審判」の理念はこれらの主題に通底しているとしています。ロマネスクで開花した「黙示録のキリスト」、「キリストの昇天」、「最後の審判」の3つの主題が、中世の人々にとって最も切実な「最後の審判」の主題に収斂されていったといえます。



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